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奈良地方裁判所 平成8年(行ウ)6号 判決 1997年12月24日

原告

北村嘉三

右訴訟代理人弁護士

池田直樹

被告

榛原町長

前田禎郎

榛原町

右代表者町長

前田禎郎

右被告二名訴訟代理人弁護士

藤村睦美

藤村輝子

渡辺法之

主文

一  被告榛原町長が原告に対してした平成八年四月三〇日付け辞職承認処分を取り消す。

二  被告榛原町は、原告に対し、金二〇万円及びこれに対する平成八年五月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、原告と被告榛原町長との間においては被告榛原町長の負担とし、原告と被告榛原町との間においてはこれを一〇分し、その一を原告の負担とし、その余を被告榛原町の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

一  主文一項同旨

二  被告榛原町は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成八年五月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、①被告榛原町長(以下「被告町長」という)が原告に対してした辞職承認処分(以下「本件処分」という)は、原告の辞職の申出を欠き無効であると主張して、原告が被告町長に対して本件処分の取消しを求めるとともに、②被告榛原町(以下「被告町」という)職員が原告の名誉を毀損するなどの不法行為をしたことを理由として、原告が被告町に対して国家賠償法一条に基づく損害(慰謝料)賠償請求をしている事案である。

二  争いのない事実等

1  原告は、平成六年七月一日当時、奈良県立医科大学(以下「県立医大」という)内科学第一教室の医局に所属する医師であったが、そのころ、いわゆる医局の人事により、榛原町立榛原総合病院(以下「町立病院」という)に勤務するよう推薦を受けた。被告町長は、平成六年七月一日付けで原告を榛原町技術吏員に採用し、町立病院勤務を命じた(甲一四)。右辞令書には、期限の定めの記載はない。原告は、同日から町立病院の内科医師として勤務を開始した。

2  被告町長は、平成八年四月三〇日付けで原告に対して本件処分をし(甲一)、右処分の辞令書は、同年五月二日、原告に対して交付された。

本件処分に関し、原告から退職願の提出等の辞職の申出はなかった。

3  町立病院事務局長栗野慎之介(以下「栗野」という)は、原告に対し、平成八年五月九日付けで、町立病院からの退去を命じ(甲二)、同月一七日付けで、私物を整理の上、撤去をお願いする旨の文書を交付した(甲三)。

4  原告は、平成八年五月三一日付けで、榛原町公平委員会に対し、本件不利益処分についての不服申立(審査請求)をし(甲九)、同委員会は、同年六月二四日にこれを受理したが(甲一〇)、審査請求があった日から三か月を経過しても裁決がない。

三  争点

1  本件処分の適法性

2  原告が退職願の提出を拒む行為は信義則違反となるか。

3  不法行為の成否とその損害(慰謝料)額

四  争点に関する各当事者の主張

1  争点1(本件処分の適法性)について

(被告らの主張)

町立病院においては、昭和二九年の病院開設以来、医療、研修、医師の人事等について県立医大と緊密な協力関係を保持しながら、地域医療の充実を図ってきた。

そして、町立病院の内科医についても、被告町長は、県立医大内科学第一教室の医局所属の医師を、医局の人事異動に基づいて採用し、又はその辞職を承認するという取扱いをしている。したがって、町立病院の内科医として勤務する医師は、医局に所属し、その人事異動に従うことを必要条件としている。町立病院の医師の採用が右に述べたように条件付のもので、医師もこれを了解して採用されている以上、医局の人事異動があった場合の医師の退職については、具体的な辞職の申出がなくても辞職承認をすることができるというべきである。

また、本件において、原告の文書による具体的な辞職の申出はないが、原告の辞職の申出の意思は、町立病院に採用される段階で、次の医局の人事異動の内示を停止条件として黙示的に表示されていたといえる。被告町長は、医局から平成八年四月一五日付けで医局の人事異動に基づく内示を受け、右条件が成就したことにより、本件処分をしたものである。

地方公務員法(以下「地公法」という)が永続的な職員の身分を保障しているのは、職員をして安んじて自己の職務を公正忠実に行わせるとともに、行政の継続性と安定性を図るためである。しかし、その必要性があり、右の趣旨に反しない場合においては、法律にこれを認める旨の明文がなくとも、一定期限ないし条件での町職員の採用も許されると解される。

町立病院勤務医師の場合、一般の職員と異なり試験採用を経ずに医局の内示によって採用されるが、このような採用制度は、地域における医師の安定的・継続的供給のために不可欠であり、また、医局に所属し、その推薦を得ていることによって当該医師の技能に対する信頼が担保されるからである。そして、町立病院に採用された医師は原則的には一年から二年の期間で、医局の人事異動に従い他の病院に異動するが、医療という事柄の性質上、行政の継続性・安定性に関わりがないことや、採用時において医局の人事異動を承認し、短期の勤務であることを当然の前提として町立病院に採用されていることからすれば、その職務を不安定なものとすることもない。

(原告の主張)

①辞職の申出につき、事前の黙示の意思表示を認めることは、公務員の地位の安定を著しく損なうことになるから許されず、勤務条件を条例で定めるとする地公法二四条六項の趣旨にも反すること、②医局を辞めると町立病院の医師としての地位も失うという慣例は存在しないこと、③被告町長が医局の人事に基づき被告町職員の人事を行うことは、公務員の忠実義務に反するおそれがあり、地公法の趣旨を逸脱していること、④医局は医師を関連病院に紹介する機能を有しているが、採用や退職については個別の同意を基礎として人事が行われているのであり、医局が本人の同意なく一方的にその処遇を決定できるという法的根拠は不明であることからすれば、被告らの主張は理由がない。

医局員であることを公務員の採用及び任用継続の条件とすることは、不明確に過ぎ、許されない。

原告は、平成七年一〇月には、医局を辞める意思表示をする一方、医局及び町立病院の関係者に対し、医局は辞めるが町立病院は辞めない旨明確に述べていたものであり、平成八年四月ころは医局員ではないから、医局の人事に従ういわれはない。また、被告らの主張に従えば、原告は医局を辞めた際、直ちに公務員としての地位を失うはずであるのに、被告町長が、平成八年五月ころ医局員の地位を失ったとして原告の公務員の身分を失わせたのは、その運用が恣意的に過ぎる。

2  争点2(信義則違反)について

(被告らの主張)

仮に、原告の黙示の辞職の申出が認められないとしても、原告は町立病院での採用、退職についての前記取扱いを知り、医局の人事異動に従うことを了解した上で被告町長に採用されたのであるから、医局の人事異動に従わず、辞職願を提出しないという行為は、採用時における被告町長と原告との信頼関係を裏切り、被告町における医療水準の向上と医師の安定的・継続的確保のために、町立病院と県立医大との間で培われてきた協力関係を破壊するものであって、信義則上許されないというべきである。

原告は、自己の採用時には自ら被告町長に対して採用を求める意思を明示したことはなく、医局の人事異動に従っておきながら、後に医局の人事を無視した主張をするのは、それ自体背理である。

(原告の主張)

被告らの主張は争う。

3  争点3(不法行為の成否と損害額)について

(原告の主張)

被告町長は、前記のとおり、違法な本件処分をした。さらに、町立病院事務局長栗野は、平成八年五月九日付け及び同月一七日付けで、病院スタッフの面前で、原告に対し、町立病院からの退去や私物の撤去を命じた。

これらの被告町の公務員による違法な職務行為により、原告はその名誉を毀損され、精神的苦痛を被った。その損害は金一〇〇万円を下らない。

(被告らの主張)

町立病院事務局長栗野が原告に対し、平成八年五月九日付けで、同病院からの退去を命じたことは認めるが、同月一七日付の通知は原告の私物の整理を同人に願い出たというものであって命令ではない。原告の名誉が毀損されたという事実は否認する。

原告が医局の人事異動に従わなかったのは、医局に対する不満をはらそうとした意図に基づくものであるとうかがわれるから、本件辞職承認処分によって生じた混乱は、原告が自ら招来したものであって、原告に精神的損害が生じる余地はない。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

第四  当裁判所の判断

一  争点1(本件処分の適法性)について

1  本件処分の効力

公務員関係における辞職とは、本人の辞職の申出に対し、任命権者がこれを承認することによって公務員がその身分を失うことであり、本人の辞職の申出は辞職承認の前提条件であるから、これを欠く場合には、当該辞職承認は無効というほかはない。

本件においては、前記争いのない事実等記載のとおり、原告は被告町長に対して辞職の申出をしていないから、被告町長の本件処分は原告の辞職の申出を欠くものとして違法であり、無効である。

2  しかし、被告らは、原告が医局の人事異動に従うことを条件として採用されたものであるなどと主張しているので、以下検討する。

(一) 証拠(甲一一ないし一三、一八、乙一、証人橋本俊雄(以下「橋本」という)、原告本人の各供述のほか、各項中に掲記のもの)によれば、以下の事実が認められる。

(1) 医局の意義、組織

医局とは、大学医学部の講座に対応して存在する医師の団体であり、大学の附属病院などの右講座に対応する診療科では、医局の場において教育、研究、診療等が行われている。医局の最高責任者は教授であり、その下で医局長が実務的な運営を行っている。

医局は、医局に関連する病院に医局に所属する医師(医局員)を推薦し(いわゆる「医局の人事」)、右推薦に基づき、医局員本人と関連病院との間で雇用契約が結ばれるか、又は医局員本人と関連病院の設置管理者である地方公共団体との間で公務員としての採用手続がとられている。医局が医局員を関連病院に派遣するというシステムは、関連病院において安定的に医師の人員を確保することができるなどの利点もある(乙三、証人桐久保隆久(以下「桐久保」という)の供述)。

(2) 原告と医局との関係

原告が所属していた医局は、平成九年三月現在、教授、助教授各一名、講師三名、助手八名、大学院生八名、研修医九名、非常勤医員四名の外、非常勤講師一〇数名、専修生一〇〇名余で構成されており、成文化された規約などはないが、医局への入、退局は、本人からの口頭の申出を教授及び医局長が了承することによって行われ、医局員は、原則として年間二万円の医局費を納めている。

原告は、平成二年五月、医局に入局し、以後、医局の推薦に従い、県立医大附属病院、東生駒病院、正和病院、ニッセイ聖隷クリニックの各病院において勤務してきた。各病院における就労期間は一定ではなく、短いもので四か月から長いもので一年二か月であった(乙二)。

原告は、平成六年七月当時、専修生で、学生としての身分も有していたが、医局の推薦に従って町立病院に勤務することにし、被告町長も、医局の推薦に従い、原告から履歴書(乙二)、保険医の登録、医師免許証の提出を受けて、原告を平成六年七月一日付けで榛原町技術吏員として採用し、医療職(一)二級六号給を支給するものとし、町立病院勤務を命じ(甲一四)、平成七年七月一日付けで同級七号給に昇給させた(甲一五)。

原告は、平成七年一〇月ころ、町立病院の林副院長を介して橋本医局長(当時)に医局を辞める旨を伝え、橋本医局長は原告に対し何回か翻意を促したが原告の応じるところとはならず、平成八年一月には県立医大内科学第一教室の土肥和紘教授を同道して原告を説得しようとしたが、原告の医局を辞めるとの意思は固かった。その間、橋本医局長は原告に対し、町立病院も辞めてくれと原告に申し入れたが、原告は、町立病院を辞職する意思はない旨を答えた。

(3) 町立病院の対応

本件において、医局の土肥教授は、平成八年四月一五日付け「第一内科人事異動」と題する書面をもって、原告に対し、平成八年四月三〇日付けで町立病院を退職し、同年五月一日から県立医大非常勤医員への転勤を命ずるとともに(甲一六)、被告町長に対し、原告を町立病院を辞し他病院に任命する予定である旨記載した同年四月一五日付けの「第一内科人事異動のご依頼」と題する書面を送付した(甲一七)。

医局からの推薦に従って採用された町立病院の医師の辞職は、通常、町立病院において、医局の人事の内示を受け、医師から退職願を提出させた上で、被告町長に進達し、被告町長において辞職承認処分を行うという手続で行われてきた。しかし、例外的にではあるが、医師の退職願の提出が遅れ、辞職承認処分の後に提出されるということもあった(証人桐久保の供述)。また、少なくとも橋本が医局長として在任していた平成五年二月から平成八年四月までは、教授が前記のような「第一内科人事異動」と題する書面を発することはなかった。

被告町長は、右医局の人事に従い、原告の意向を確認することなく、平成八年四月三〇日付けで本件処分をした(甲一)。

(4) 医局員を関連病院に派遣する手続

乙一(橋本の陳述書)及び証人橋本の供述によれば、医局員を関連病院へ派遣する手続は、教授、助教授、医局長、関連病院の勤務医から選出された四名の者の計七名で構成される人事委員会において派遣先として推薦すべき関連病院等を決めることになっているというのであるが、右手続に個々の医局員が制度的に関与することが予定されているとは認められず、これが医局員の権利や意思を拘束するような趣旨のものとは考え難い。

(二) 被告らの主張の「医局の人事異動」の性質

以上の事実に照らせば、原告と医局との間に雇用契約類似の関係を認めることはできず、結局、原告と医局との間には原告が医局に対して医局費を支払い、他方、医局が原告に対して派遣先の関連病院を推薦し、又は学位所得に関する指導をすることなどを内容とする私法上の関係があるにすぎないと解される。

そうすると、被告ら主張の「医局の人事異動」とは、医局が医局員を派遣すべき病院を推薦し、医局員が右推薦に従い、関連病院との間で雇用契約を結んだり、関連病院の設置管理者である地方公共団体との間で公務員として採用されたりしている慣例を指すに過ぎないものである。したがって、被告町長において、事実上、医局の推薦に従って医師の採用を行っていたとしても、被告町長が公務員として採用する旨の処分をしない限り公務員として採用されることはないし、一旦公務員として採用された後、医局が医局員に対して別の勤務先等を推薦しあるいは指示したからといって、公務員としての地位が失われたりする筋合いのものではない。そうすると、町立病院の内科医として勤務する場合は、医局に所属し、その人事異動に従うことを条件としている旨の被告らのこの点の主張は採用することができない。

また、被告らは、原告には採用時に医局の次の人事異動の内示を停止条件とする黙示の辞職の申出があった旨を主張するが、公務員の辞職の申出は、その身分の喪失という重大な効果につながるものであるから、辞職の時期を含めて公務員の自由な意思に基づくものであることが必要であり、医局において別の勤務先を推薦しあるいは指示することを内容とする停止条件を付することは許されないし、本件においてそのような条件が付されていた事実を認めるべき証拠もない。

二  争点2(信義則違反)について

被告らは、原告が辞職願を提出しないのは、信義則上許されないと主張する。しかし、前記のとおり被告町長において町立病院に勤務する医師の人員を安定的に確保する必要性などから、従来、医局の推薦に従って医師を採用してきたことや、原告が、医局に入局後、医局の推薦に従って合意の上で各関連病院での勤務を重ねてきたことを考慮しても、右に述べたように辞職の申出が地方公務員たる地位を喪失する重要な法律行為であることに照らせば、原告の意思に反してその地位を失わしめるには、それ相応の理由と手続が必要であり、被告ら主張の事由によっては、原告が辞職願を提出しない行為を信義に反するものとして、本件処分を有効とすることはできない。

三  争点3(不法行為の成否と損害額)について

1  証拠(甲二なし五、一八、乙三、証人桐久保、原告本人の各供述のほか、各項中に掲記のもの)によれば、以下の事実が認められる。

(一) 町立病院の事務局長栗野は、平成八年五月九日付けで、原告に対し、町立病院からの退去を命ずる旨の書面を交付し(甲二)、同月一一日までに原告において私物の撤去がなされなかったため、同月一七日付けで、原告に対し、退去命令に伴い私物を撤去するようお願いする旨の書面を交付した。

(二) 原告は、同月八日付け(甲四)及び同月一〇日付け(同月一一日到達、甲五)の各書面において、被告町長に対し、原告は辞職の申出をしておらず本件処分につき不服がある旨の書面を送付していた。

(三) 原告は、前記の退去に関し、町立病院の病院スタッフの前で、町立病院事務局次長の桐久保から退去しろと言われ、また、桐久保や町立病院課長の竹内から警察を呼んだり強制退去させることもできるなどと言われた。

2  原告の損害賠償請求は、要するに、違法な本件処分及びこれに伴って違法に町立病院からの退去等を命ぜられたことを理由とするものであり、右に認定した経過を通じ、原告が精神的苦痛を被ったことが認められるが、本件処分を取り消す旨の判決により、原告の地位は回復され、また、退去命令もその効力を失うことが明らかとなるのであるから、これらによりその精神的苦痛もある程度慰謝されることを考慮すると、被告町の職員の違法行為による原告の慰謝料は平成八年五月一七日の時点で二〇万円をもって相当とする。結局、原告のこの点の請求は、二〇万円とこれに対する「退去命令に伴う私物の撤去について」と題する書面が原告に到達した日である平成八年五月一七日(甲三、一八)から完済まで民法所定年五分の割合による損害金の支払を求める限度において理由があるが、その余は失当として棄却すべきである。

第五  結論

以上の次第で、本件処分を取消した上、原告の被告町に対する請求を主文掲記の限度で認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官前川鉄郎 裁判官石原稚也 裁判官田口治美)

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